読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「人工知能の父」マービン・ミンスキー教授について知りたい ②その生涯を振り返る

人工知能

f:id:ronnieeda:20160817130932j:plain

 

(「「人工知能の父」マービン・ミンスキー教授について知りたい ①その業績を振り返る」から続く。)

 

マービン・リー・ミンスキーは1927年8月9日、ニューヨークで生まれた。

 

眼科医であった父と社会活動家であった母とのあいだに生まれたミンスキーは、電子工学や科学に魅せられた早熟の少年であった。

 

彼が勉強した学校の先輩には、原子爆弾の開発を監督したロバート・オッペンハイマーがいる。

 

第二次世界大戦中は陸軍に従軍したこともあった。

 

戦後、ハーヴァード大学で数学を修め、プリンストン大学で数学博士となった。

 

ジョン・マッカーシーと出会ったのはこのプリンストン大学である。

 

常に知的追求を怠らなかったミンスキー教授は、学位を取得した数学から別の分野へと進んでいった。

 

遺伝学に興味を持ったがこの分野には深みがないと感じてあきらめた後、物理学に魅力を感じたが、最終的には「知性」そのものを自分の専門とすることになった。

 

「知性をめぐる問題は、希望を失ってしまうくらい深いようだ」と1981年にミンスキー教授は語っている。

「他にはやる価値のあるものを思いつかない」。

 

研究を進めるために、マッカーシー教授と合流。

 

マッカーシー教授はすでに1956年にマサチューセッツ工科大学(MIT)でフェローシップを得ていた。

 

ミンスキー教授は、それまでいたハーヴァード大学を離れ、1958年にMITのリンカーン研究所のスタッフとして加わる。

 

1年後、彼はマッカーシー教授とMIT人工知能プロジェクトを立ち上げた。

 

MITでのミンスキー教授の授業には、後にコンピュータサイエンスで大活躍をした人たちの多くが生徒として参加していた。

 

その中にはレイ・カーツワイル、ジェラルド・ジェイ・サスマン、パトリック・ウィンストンなどがいる。

 

またダニー・ヒリスもミンスキー教授のもとで勉強した科学者の一人だ。

 

ヒリス氏は1990年代初頭に「Thinking Machines」というスーパーコンピュータのメーカーを立ち上げた人物である。

 

ヒリス氏はミンスキー教授の知性とカリスマ性に大きな影響を受け、MITで人工知能の研究をはじめることになった。

 

「マービンは、どのように考えるべきかについて私に教えてくれました」とヒリス氏は語る。

 

「彼にはスタイルがあり、遊び心にあふれた好奇心がありました。私はその影響を強く受けたのです。彼は常に現状に対して疑問を持つよう私たちを促していました。彼は生徒たちが自分と議論することをとても楽しんでいたのです」。

 

ミンスキー教授の活躍はMITの枠に収まらなかった。

 

1968年のSF映画『2001年 宇宙の旅』の製作に関わったときには、監督のスタンリー・キューブリックが教授を訪れ、コンピュータ・グラフィックスについて教えを乞い、また2001年になるとコンピュータが上手に話すだろうという将来の予想について、教授の意見を求めたりした。

 

1989年には、当時出来たばかりであったMITのメディア研究所にも参加している。

 

知性を追及し続けたミンスキー教授が残した、印象的な言葉がある。

 

「もしある物事を一方からしか理解していないようでは、君はそれを本当に理解したことにならない」。

 

   

 

Marvin Minsky, Pioneer in Artificial Intelligence, Dies at 88 - The New York Times